私が育った小学校のそばにあるお店です。
お好みを焼いているおばあちゃんが一人。
まだ、やってたんか! 垣下商店。
今でもおいしい! というより、とてもおいしい。
また、このお店でお好み焼きが食べられるとは、涙が出そう。

50年前はお好み焼きが30円、タマゴを入れれば40円だったと思います。
タマゴは自分の家から持って行ってもよかったと記憶しています。
今はお好み焼き(大)で230円、(並)で200円、モダン焼きが400円です。
別に量が少ないというわけではないので、相場からいってあまり値上げしていないといえますね。
焼き方は昔も今も一緒です。
最初に鉄板の上でメリケン粉を落とし、玉じゃくしの背中で薄く丸く塗るやり方で、今から考えると広島焼きです。
子どものとき、この店でこちらの焼き方の方を先に知ったので、これが一般的だと思っていました。
金属カップの中で混ぜてから焼く方法は、あとで知りました。
それで、玉じゃくしを使う焼き方が「洋食」とか「洋食焼き」で、金属カップを使う方法が「お好み」や「お好み焼き」だと、自分なりに分類していました。
間違いとも言えん?かな、広島焼きという言葉は当時知りませんでした。
おばあちゃんは、広島の方に血筋はあると言っていました。

先週、新居浜から小学校時代からの親友であるTOBOくんがやって来ました。
自分の釣り用の宿泊可能な箱バンに、折りたたみチャリンコを積んで来ました。
それを引っ張り出し、一緒にサイクリングをします。
サイクリングといっても自然の中を走るのではなく、自分たちの小学校時代の校区を巡り、ノスタルジックな気持ちに浸るのが目的です。
この小学校区というのは、私が今住んでいるところではなく、5~6km離れた隣の市です。
ということで、家からそう遠くではありませんが、通るとすれば校区内の旧国道を素通りするぐらいで、滅多に行くところではありません。
忘れていた景色が次々と現れます。
涙が出てくるような、なつかしい場所がいっぱい出てきます。
特に、クルマでは通れないような細い道は、私たちが子どものころに走り回っていた遊び場です。
こんなに狭い道やったんや。
子どものころの同級生の家があると、そのころの話題が次々と出てきます。
かわいかった女の子の話も…。(もう会いたくはありません。イメージ壊れるし。)
街のようすが大きく変わっているところとあまり変わっていないところがあり、そのどちらにも心を動かされます。

トップ画像のおばあちゃんは87歳だそうです。
高齢のために、隣にあった一文菓子屋部分は経営縮小。
私たちと歳の近い子どもがいるそうですが、それは知りませんでした。
TOBOくんが、50年前にこの店にいた先代のおばあちゃんの話を始めました。
今はこの女の人がおばあちゃんですが、その姑にあたる人のことです。
細かいところは覚えていませんが、「あの先代のおばあちゃんは気が強かったなあ。」というようなことを言った途端、このおばあちゃんは急に堰切ったようにペラペラしゃべり出しました。
ご想像通りの「嫁姑の物語」です。
でもその話がきっかけで、そのあとも話題は尽きずに大盛り上がり。
TOBOくん、さすが好成績を誇る営業マン!

釣りの好きなTOBOくんは、この川の堤防とレンガ造りの工場の間を通って、よく海に行ったそうです。
防波堤と小さな砂浜がありました。
私も何回か釣りに行ったことがありますが、海にはまって泳いでいるヤツがいたりする、そんなふうに遊びが半分以上の釣りでした。
昭和の子どもらしい、いいショット。
今、大人になった目でこの校区を思い返すと、海岸線沿いにある工場の労働者が多く、借家率が高い企業城下町だったんだなあ、と思います。
周りは、お城のある城下町や歴史ある寺内町、豊かな農村で、そういう三つの小学校区に囲まれています。
それらの校区からすると、ちょっと見劣りするように感じますが、それだけに別のエネルギーがありました。
イメージとして、子どもがウジャウジャいて、路地で遊んでいるような感じ。
今はそれらの工場がほとんどなくなってしまい、普通の衛星都市型の町並みになっているところが多くなったように感じました。
タイムマシンに乗ったようなサイクリングが終了。
家に帰ると、玉手箱が開いていたというと、ちょっとキザかな。