このごろ歳をとったなあ


このごろ歳をとったなあと思う。
何を今さらそんなこと、しみじみと感じてんだと言われそうだが・・・。



 単位量あたりの大きさ 

この言葉は小学校の算数で習った単元名で、人口密度とか比重とかのことで出てきたと思う。
あるころから、この言葉を聞くと1平方cmの皮膚に何本か毛が生えているようすが頭に思い浮かぶようになった。

【 20年前 】
とある同世代の人が集まる宴会で冗談を言い合っていた。
「お前、同級生のくせにデコ広いな。」

【 10年前 】
「昔はデコ広いとか冗談言ってたなあ。」
「このごろ『相手にデコ広いな。』と言っても、それほど失礼ではなくなってきたよ。」

【 ここ最近 】
「昔は『それほど失礼ではなくなった。』とか言ってたなあ。」
「オレ、デコ広いけど毛はお前より多いな。」
「どっちが上やろな?」




 加齢臭という言葉 

「この言葉、嫌いやな。」
「一体、誰が作った言葉や。昔はこんな言葉なかったで。」

「化粧品会社のヤツらちゃうか。老人向け石鹸とか売ろと思て。」
「年寄りを尊敬せーへん典型みたいな言葉やなあ。」




探せばこの話題、もっと一杯あると思うが・・・。
しかし、たくさん思い付くのもまた悲し。






先駆者にならなくていい。


携帯電話などの3Gサービスがあと3~4年で終了になるとのことです。
3Gとは第三世代移動通信のことで、この正式名称以外のことは全然わかりません。

私は今4Gサービスの電話を使っているわけだけど、その4Gも、または今話題になっている5Gのこともさっぱり。
調べてみると、周波数帯のことなどが書かれていますが、読んでももう一つちんぷんかんぷんですね。
まあ要するに、通信性能が質、量ともに高規格になるということですかな。
ということで、私は携帯電話の世界で「先駆者にならなくてもいい」典型的なタイプであるということが言えます。


2019年12月10日、3G回線のサービス終了


終了となる3Gサービスの話に戻りますが、この回線を使っている友人や知人が何人かいます(最近一人減ったが。)
便利なスマホに慣れてしまっているので、連絡をするのにちょっと不便さを感じるときはあります。
私が「先駆者にならなくていい人」なら、彼らはもっと上を行く人です。
ただサービスが終了することは知っている人は、「そのうちケータイを買い換えないと。」と言っていました。

こういう人が一定数いるので、今彼らのところにはスマートフォンの宣伝のダイレクトメールが盛んに届くようになっているそうです。
企業もこれはビジネスチャンスとばかりに、電話機の安売りやら何やらといろいろ特典を付けてくるようです。
慌てる必要はなさそうですが、上手に買い物をしたら、うまいこと安く新しい電話が手に入るかも知れませんね。
ただ、今3Gサービスを使っている人にその意欲があるかは、少し疑問ですけど。


先駆者にならなくていいけど、最後尾はちょっと困るなという話でした。






更新回数が落ちてたなあ


6月末に脳梗塞になってから、このブログの更新回数が著しく落ちていました。
7月、8月はまだ11回、10回といつもと同じぐらいありましたが、これはほとんど病気ネタでした。
9月、10月は4回、3回となりかなりの低ペースになりました。

原因の一つは病院やリハビリ、それに関わるプール通いで時間が取られるからですが、メンタルなところもありました。
この先動けなかったら、どこにも遊びに行けない。
そうしたら、このブログも具体的なレポートのようなものが全くなくなってしまうなあ。
頭の中で思ったことは書けるけど、そればっかりだったら読む人もあまり面白くないだろうなあ。
となると、書く気も大して起こらなくなりますね。

自分から見ても魅力のない発信は、他人から見ても当然そういうもの。
そう思うと、持ち物のない自分を感じ、自己顕示欲みたいなものも減退します。
それで面白いネタも頭に浮かばなくなる・・・。
負の連鎖ですね、マイナーなときに人が陥るパターン。
まあ、そんなに深刻に沈んでいたわけではないですけど。



ここしばらくは、それなりに更新が続いています。
少しは活動的になったので書くことが増えましたが、それよりもあんまり細かいことを考えなくなったことの方が主な原因かな。
まあ、そういうことが健康になることかも知れないと思います。
ということは、だいぶん病気を克服しつつあるのかな?






カネ、ヒマ、健康


「カネ」「ヒマ」「健康」。
この三拍子が揃っていてこそ、人間は十分に遊べると言われています。
今年、脳梗塞になってからというもの、この言葉が頭から離れなくなりました。



カネヒマ健康
若年期×
中堅期×
老齢期×



すべての人がこのようにピタッと当てはまっているわけではないですし、私自身も若干違うところがありますが、アバウトでだいたいこの通りだといっていい気がします。

若いころ、例えば学校へ通っている時代は基本的にカネはありません。
例外として、就職後に独身貴族と呼ばれる時期が来ますが、自分が将来においてどのぐらいカネが稼げるかわからずに、ただあるから使っているという状態です。
それに比べて、健康は十分にあります。

中堅期に入ると給料が上がり、その分を自分の資産の形成や子育てにあてます。
時間は圧倒的になくなります。
本職の仕事量が増え、子育てや社会活動で、自由な時間はほとんどありません。

老齢期を迎え、例えば仕事を退職したりすると「さあ、遊ぼう!」となります。
以降収入は増えませんが、自分が使えるカネの額がわかってきます。
しかし、ここからが第三の問題である健康かどうかがポイントになってきます。



私の当面の目標は、「健康×」を「健康△」か「健康○」に持っていくことです。
目標を達成したら、もうこの言葉は頭の中から消えて、忘れてしまうでしょう。
うう・・・、忘れてしまいたい。






『孔子は死んだ』 老人が尊ばれる時代とそうでないとき:その3


このテーマの記事は「その2」で「おわり」になっていましたが、それを「つづく」に変えて、もう少し思いつくことを書いてみます。


「70歳定年」の言葉が登場したとき、街を歩く人へインタビューしているようすがニュース番組で流れていました。
年齢層の違ういろいろな人が対象となっていましたが、印象に残ったのがある若い人の言葉。
「え・・・、70まで働かなきゃいけないの?」
若い人は、そういうふうに考える人がいるのか。
なるほど、自分が若かったときのことを思い出すと、彼には自分が60歳になることと70歳になることの違いは認識できず、どちらも遠い未来のように感じるだろうなあ。

私が話をしたことのある人の範囲では、働けるならいつまでも働きたいと言っている人は、若い人よりむしろ年配の人の方が多い印象があります。
そこで、どんな人が「70歳定年でもいいよ。」または「いやだなあ。」と答えるのか、いくつかの観点から考えてみることにしました。



<勤勉性>
人の一生をどう考えているのかで違いがありますが、リタイア人生で何かしたいことがあるのかないのか、また働いていない自分を想像したことのある、なしで、人によって大きな違いがあります。
健康に不安がなく、仕事が順調に進んでいるので、やめる理由がないというという人もいるでしょう。
逆に、若いころできた仕事に限界を感じていたり、直感的にノンビリしたいと思う人もいるでしょう。

<職業の種類>
仕事の内容で、知的労働の割合が高い人と肉体労働の割合が高い人では、当然違いがあります。
一般的に知的労働であれば高齢であっても続けられ、肉体労働であればそれが難しくなります。
そのため、知的労働では定年の規定がなかったり、もともと高く設定されている場合があります。

しかし、知的労働と肉体労働はキッチリ二つに分けられるものではありません。
例えば研究者であればその内容によって肉体作業を多く含むものがあったり、医師や一部の会社役員であれば勤務時間の不規則性や急な加重負担があったりしますので、職業の名前だけでは一概に決められません。
人それぞれの仕事の仕方によるところが影響しますが、身体の老化は多かれ少なかれ誰にもやってくるので、むしろそちらとの兼ね合いが大きいかも知れません。

<金銭面>
一つの観点だけで定年延長を考える人は少なくて、ここに挙げる三つの観点が人それぞれのウエイトで混じり合っていると思います。
その中で、この三つ目の金銭面というものは、あらゆる人が優先して考えるものではないでしょうか。

年金の恩恵を受けられない、または不十分である、もしくはカネはあるがもっと増やしたいと考えれば、なるべく長く働けることはいいことです。
そういうことを第一義に考えたら、定年延長は基本的に賛成になります。
しかし前述の残り二つの観点がそれに絡み、人それぞれの意見ができます。

働く意欲をなくさないように、収入があっても年金を減らさないという意見が出ていますが、これは政府の支出を増やすことになるので、そのまま採用されることはあり得ません。
負担増になる分を広く薄く、周りで負担する方法ならできますが、そんなことをしたら周りの人は収入減になり、貧富の差が助長されることになって社会福利の精神に反します。




政府の立場は、優れた社会制度である年金制度を安定的に維持したい、そのためにはパンクしないように財源の収支を合わしていきたいということです。
そのために、別に定年が何歳でもいいけど年金支給開始を上げることで支出を減らしたい、その政策を実行できるように世の中の雰囲気を醸成したいというのが今の動きだと思います。
老後の準備金2000万円の諮問で世の中が揺れています。
これも「自分のカネは自分で貯めろ。」というアピールをしたかったことの勇み足的な失態劇で、回りまわって年金の支出を減らすことが目的だったんだろうと思います。

それらを考え合わせると、年金制度を維持するために政府が打ち出す政策の第一弾が支給開始年齢の変更で、65歳から70歳になることが近い将来の確率の高い予想です。
そのために70歳定年という言葉が世に登場しました。
で、問題はいつ、それを行うかです。
60歳から65歳に引き上げられたときと同じように、ある年齢層に負担が集中しないように段階的なものになると思いますが、国民は大注目ですね。
特に、私と同世代の人たちはね。




国の財源は打ち出の小槌ではないのだから、修復不能になる前にいろいろ手を打っていかなければならないわけだけど、正直に言うと「オレの年金が減るのはイヤだなあ。制度改正はもうちょっと後にしてよ。」と思います。
大義より我が身かわいさ、何かセコいというかカッコ悪いというか・・・。

「老人が尊ばれる時代」というよりは「オレを尊んでよ。」という話になってしまいました。
でもこれって、ほとんど大多数の人が心で思っていることじゃないかな。


<おわり>






プロフィール

Rip

Author:Rip
性別 男
年齢 戦後生まれ
住所 岸和田市
趣味 バイクほか…
長所 楽しく酒が飲める
短所 判断が自分の好みにかたよる

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