『孔子は死んだ』 老人が尊ばれる時代とそうでないとき:その3


このテーマの記事は「その2」で「おわり」になっていましたが、それを「つづく」に変えて、もう少し思いつくことを書いてみます。


「70歳定年」の言葉が登場したとき、街を歩く人へインタビューしているようすがニュース番組で流れていました。
年齢層の違ういろいろな人が対象となっていましたが、印象に残ったのがある若い人の言葉。
「え・・・、70まで働かなきゃいけないの?」
若い人は、そういうふうに考える人がいるのか。
なるほど、自分が若かったときのことを思い出すと、彼には自分が60歳になることと70歳になることの違いは認識できず、どちらも遠い未来のように感じるだろうなあ。

私が話をしたことのある人の範囲では、働けるならいつまでも働きたいと言っている人は、若い人よりむしろ年配の人の方が多い印象があります。
そこで、どんな人が「70歳定年でもいいよ。」または「いやだなあ。」と答えるのか、いくつかの観点から考えてみることにしました。



<勤勉性>
人の一生をどう考えているのかで違いがありますが、リタイア人生で何かしたいことがあるのかないのか、また働いていない自分を想像したことのある、なしで、人によって大きな違いがあります。
健康に不安がなく、仕事が順調に進んでいるので、やめる理由がないというという人もいるでしょう。
逆に、若いころできた仕事に限界を感じていたり、直感的にノンビリしたいと思う人もいるでしょう。

<職業の種類>
仕事の内容で、知的労働の割合が高い人と肉体労働の割合が高い人では、当然違いがあります。
一般的に知的労働であれば高齢であっても続けられ、肉体労働であればそれが難しくなります。
そのため、知的労働では定年の規定がなかったり、もともと高く設定されている場合があります。

しかし、知的労働と肉体労働はキッチリ二つに分けられるものではありません。
例えば研究者であればその内容によって肉体作業を多く含むものがあったり、医師や一部の会社役員であれば勤務時間の不規則性や急な加重負担があったりしますので、職業の名前だけでは一概に決められません。
人それぞれの仕事の仕方によるところが影響しますが、身体の老化は多かれ少なかれ誰にもやってくるので、むしろそちらとの兼ね合いが大きいかも知れません。

<金銭面>
一つの観点だけで定年延長を考える人は少なくて、ここに挙げる三つの観点が人それぞれのウエイトで混じり合っていると思います。
その中で、この三つ目の金銭面というものは、あらゆる人が優先して考えるものではないでしょうか。

年金の恩恵を受けられない、または不十分である、もしくはカネはあるがもっと増やしたいと考えれば、なるべく長く働けることはいいことです。
そういうことを第一義に考えたら、定年延長は基本的に賛成になります。
しかし前述の残り二つの観点がそれに絡み、人それぞれの意見ができます。

働く意欲をなくさないように、収入があっても年金を減らさないという意見が出ていますが、これは政府の支出を増やすことになるので、そのまま採用されることはあり得ません。
負担増になる分を広く薄く、周りで負担する方法ならできますが、そんなことをしたら周りの人は収入減になり、貧富の差が助長されることになって社会福利の精神に反します。




政府の立場は、優れた社会制度である年金制度を安定的に維持したい、そのためにはパンクしないように財源の収支を合わしていきたいということです。
そのために、別に定年が何歳でもいいけど年金支給開始を上げることで支出を減らしたい、その政策を実行できるように世の中の雰囲気を醸成したいというのが今の動きだと思います。
老後の準備金2000万円の諮問で世の中が揺れています。
これも「自分のカネは自分で貯めろ。」というアピールをしたかったことの勇み足的な失態劇で、回りまわって年金の支出を減らすことが目的だったんだろうと思います。

それらを考え合わせると、年金制度を維持するために政府が打ち出す政策の第一弾が支給開始年齢の変更で、65歳から70歳になることが近い将来の確率の高い予想です。
そのために70歳定年という言葉が世に登場しました。
で、問題はいつ、それを行うかです。
60歳から65歳に引き上げられたときと同じように、ある年齢層に負担が集中しないように段階的なものになると思いますが、国民は大注目ですね。
特に、私と同世代の人たちはね。




国の財源は打ち出の小槌ではないのだから、修復不能になる前にいろいろ手を打っていかなければならないわけだけど、正直に言うと「オレの年金が減るのはイヤだなあ。制度改正はもうちょっと後にしてよ。」と思います。
大義より我が身かわいさ、何かセコいというかカッコ悪いというか・・・。

「老人が尊ばれる時代」というよりは「オレを尊んでよ。」という話になってしまいました。
でもこれって、ほとんど大多数の人が心で思っていることじゃないかな。


<おわり>






『孔子は死んだ』 老人が尊ばれる時代とそうでないとき:その2


人間の歴史の上で、豊かさの指標、または豊かさを測定する基準として、「老人を尊敬しているかどうか。」や「それが許容される世の中かどうか。」というものを取り上げることは、妥当なことだと思います。
歳を取ることは、どの人にも共通してやってくることだからです。
そう考えると、少し前の日本の世の中は豊かだったんだなあと思います。

ここで私のことを述べておきます。
これから老齢期を迎える年齢になったので、私の立場は「今まで通り、老人を大切にする世の中であり続けて欲しい。」、そして「年金などの収入が減らないように、今までのやり方を変えないで欲しい。」ということを感じる、正にど真ん中の世代です。
だから、書いている文章にもそういう匂いがプンプン出てしまいますが、なるべく他人の立場も考えて、気をつけて書き進めようと思います。




「年金生活をしている老齢者がボランティア活動をして、回りから喜ばれ、世の中の役に立っている。」
この手の話は豊かな時代のニュースで、これからの世の中、どんどん減っていくと思います。
逆に、「老齢でありながら仕事を続け、バリバリ働いているよ。社会の役に立っているよ。」という話は、これからは増加していくでしょう。
そういう話ばかりを耳にする世の中になれば、70歳定年の話もだんだんと現実味を帯びてきます。
老後のボランティアの話はだんだんと、資産のある限られた人の道楽的な取り扱いになってくるでしょう。

年金制度は、老齢者という大票田がそれを支持していますから、急に変わることはないと思います。
年金制度を維持する究極の方法は、短スパン的には受給額を減らすこと以外にないと思われますが、もしそんなことを推進しているということになればその政治勢力は選挙で負けてしまいます。
だから、老齢者の労働の有意義性などを訴え、世論の動向や世の中の指向が変わっていくのを待っているのです。
これは、何も自民党がそうしているというのではなく、世の中が自然にそういう動きになっているという方が当たっていると思います。
そして現在30代や40代の人が老齢になるころまでには、段階を追って年金制度の改変などの変化を受け入れざるを得なくなっていきます。




子どものころに姥捨て山の話を聞いたときにはずいぶんビックリしたものでしたが、人間の歴史の中ではいつでも老齢者が優遇されていたわけではありません。
よく考えると、ほとんどの時代はその反対だったような気もします。
そんな中で、孔子が「親に孝」と唱えた発想や日本の高度成長期の年金制度の拡充など、そういうものが登場する時代は何かほかとは違う豊かさがあるような気がします。

「人に強制はしないが、自分自身は働ける間はいつまでも働きたい。」という考えの人の比率も高いようです。
いろいろな仕事の業種、ものの考え方がありますから、働く年齢の上限を十把一絡げに決めることは難しいことです。
が何にせよ、年長者の生きてきた期間の長さを尊重することは大切なことで、それができない世の中は貧しいという言い方は当を得ていると思います。


<つづく>






『孔子は死んだ』 老人が尊ばれる時代とそうでないとき:その1


高齢者の交通事故のニュースが、連日といっていいほどテレビや新聞で流れます。
何かその話題はブームといえるほどで、同じような交通事故でも40歳の人が起こしたものであればさほど話題にはならず、70歳の人が起こしたのであれば人を惹き付けるニュースのソースになります。

ニュースで報道されるような重大な事故の原因はケースバイケースでしょうが、一ついえることは現在の高齢者ドライバーはクルマが急増した60~70年代ごろにクルマに乗り始めた人が多く、それまでのもっと上の世代と違い、若いころからクルマを運転していた人が高齢化した初めての世代グループです。
若いころに身に備わっていた判断力や俊敏性が歳とともに鈍っていきますが、それがよかったころの記憶は残っていて、これがやっかいなときがあると思います。



人口ピラミッドから考えてこの世代の人口は多く、若者のクルマ離れも相まって、ドライバーの高齢者率は高くなっています。
乗っている人に高齢者が多いのであれば、一般的にその年代の事故が多いのは当然のことです。
「高齢者の免許返納=美徳」、これはこれで一理あることですが、この先「高齢者の運転=悪」というものの見方が増えていくことが予想されます。
これから高齢者ドライバーになる私たちにとっては、何かやりにくい世の中が来るような予感がします。

HONDA S2000を購入予定のTMYくんが、「このクルマなら、アクセルとブレーキの踏み間違いは起こらないよ。」と言っていました。
「なるほど、ミッション車は高齢者向きなのか・・・。」


<つづく>






なくなってゆく言葉、変わっていく言葉


最近使われなくなってきた言い方に、戦前派、戦中派、戦後派という言葉があります。
日本人の考え方を大きく変えた第二次世界大戦の敗戦によってできた言葉です。

私の理解の範囲では、次のようなものです。
人間の思考力形成期が10歳から25歳ぐらいまでと想定して・・・。
戦前派;
もう大人になってから、軍事教育や戦時体制に出会った人。
戦中派;
思考力形成期に、軍事教育を受けたり戦時体制の中でいたりした人。
戦後派;
戦争が終わってから、思考形成が行われた人。

この中で、戦中派と呼ばれた人は軍国少年少女時代を過ごしたあとに大きなギャップを感じた人です。
そういう人が日本の文化人の中にはたくさんいて、それ以前、以後の人と比べて、一つの個性ある世代と捉えられていました。

しかし年月が流れ、戦前派の人の数が減ってゆき、戦中派の人との比較ができなくなりました。
現在は数からいうと、戦中派の人も社会の第一線で活躍する人は極めてまれです。
当然のことながら、こういう言い方である時期の世代を表すことは意味がなくなりました。

しかし、今でも映画や小説の世界でこのころのようすを舞台にするものは数多くあります。
そういうものを鑑賞するときは、私はこういう言葉を知ってからの方がわかりやすくなったと感じています。




話は変わって、最近の国際報道を見ていると、複雑な世の中になってきたなあと思うことがよくあります。
20世紀の冷戦時代には「左右両陣営」という言い方がありました。
ニュースなどでは「左=ソ連(共産主義)」「右=アメリカ合衆国(自由主義)」を指すものとほぼ固定化していました。
それ以外の国も、この二色でわりと単純に色分けされていました。

左翼、右翼という言葉はもともとフランスでできた言葉らしいですが、このときは市民革命派と王党保守派という色分けだったようです。
このときの左翼とは市民革命派のことで、共産主義ではなく今の自由主義に近い立場です。
そして現在は多くの国がこのスタイルで、フランス革命の影響は世界中に広がったという言い方もできます。
つまり、左、右という言い方は固定化されたものではなく、その時代や情勢によって色分けされる相対的な政治的傾向だといえます。



今でもこの左右という言い方は使われています。
市民派と軍事政権派というふうに一国の中でわかりやすくそれぞれの勢力を表したり、一つの政党の中でその党員やグループの政治姿勢の違いをわかりやすく端的に左派、右派と言ったりします。

冷戦が終わりソ連が消滅したので、国レベルではあまり使われなくなりました。
今の世界は冷戦時代のようにある程度経済がブロック化された状態ではなく、国同士が貿易をしながら対立したり、また協力したりするようになっていますから、関係の善し悪しは政治形態がどうであろうと関係がなくなっています。
二局構造ではなく、三局も四局もあり、正にややこしい国際情勢ですね。

また中国のように共産主義の政治体制で自由主義経済の国があります。
中国で市民派を左派と呼ぶなら共産党派が右派になるわけで、共産党が右側勢力であり保守派と表現するなんて、今までの言い方に慣れているものにとっては変な感じがします。
この左右という言葉も、これからいろいろと表し方や使い方が変わっていくだろうと予想します。



大雑把な時代と分け方でいうと下のような感じです。
18~19世紀 左;市民革命派 右;王党保守派
20世紀    左;共産主義  右;自由主義
21世紀    左;市民改革派 右;体制派や権力派
こう見ると、20世紀だけ共産主義国家の誕生で言葉の使い方に特殊なものができたといえるかも知れません。
もちろん本来的な使い方がなくなっていたわけではありませんが。




この「なくなってゆく言葉、変わっていく言葉」は何かを主張したくて書いたものではありませんし、結論もありません。
長々とおしゃべりをしただけです。
ご清聴ありがとうございました。






ドラマはラブコメがいいね。


このごろ、いろいろとやることが多くなってきたので、テレビドラマを見る機会が少なくなってきました。
それで、どんなドラマをよく見ていてどんなドラマを見なくなったのかを考えてみました。


2019年02月20日、maxresdefault_a


あまり見なくなったものの代表は刑事もの。
刑事ドラマといえばドラマの王道を行く製作本数の一番多いジャンルだと思います。
これで約半分近くは減ります。
それから男でも女でも、イヤミな悪人が出てくるものも、いい気持ちにはならないからカットです。
その登場人物を見ていたら胸クソ悪くなるし、人をだますことがテーマになっているようなものは、完全な喜劇以外は初めから見ないと思います。
また、面白くなくなったら途中で見なくなるのが早くなりました。
がんばってみている内に面白くなる場合がありましたが、仕事でもないものにガマンは要らない、よってそうそうにパス。



しかし、そう言いつつも、ジャンルを越えて見たいものもあります。
それは好きな女優さんが出てくるもの、そして「かわいいな。」と思える主人公が出てくるもの。
ちょっとおっちょこちょい、または天然で、悩まなくてもいいようなところで悩んでいる姿を見ると、「ああ、うまくいけばいいのに。」と思い、応援したい気持ちになります。
そんなラブコメディーが好きだなんて、ああオレは何て「夢見るかわいいおじさん」なんだろう。
何となく、恥ずかしい感じもするが・・・。



この前、高校生が出てくるドラマを見ていたら、「60越えたおっさんが見るもん違うやろ。」と息子に言われましたが、これには言い分があります。
15歳でも25歳でも35歳でも、いずれにしても私からは遠く離れた存在で、そう違いはないのよね。






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Rip

Author:Rip
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年齢 戦後生まれ
住所 岸和田市
趣味 バイクほか…
長所 楽しく酒が飲める
短所 判断が自分の好みにかたよる

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