前回この記事を書いたのは1年半も前で、「確か『つづく』になっていたよな。」ということは、記憶のどこかにありました。
時間の経過で、そのときと少し情勢が変わっていますが、書きかけていた文章が2つあるので、それを書いて完結したいと思います。
今回の戦争で、ウクライナの人の考え方に起きた変化はどんなものでしょうか。
ロシア軍やウクライナ軍の攻撃を受けた人の考えはある程度想像できるので、ここでは戦争の災禍に直接遭わなかった人を中心に考えたいと思います。
多民族国家でいろいろな立場の人がいますが、ここに「
その11」で挙げた代表的な4つ立場を取り上げます。
・西部ウクライナの反ロ感情に高いウクライナ系農村地域で、従来より平均収入が低い地域です。
生活の苦しさが西側志向、そして反ロ感情に結びつくので、戦争に勝利し、EU加盟、NATO所属を目標とするゼレンスキー氏の主張とほぼ同じだと考えられます。
この欧米の豊かさや映画や音楽などで紹介される主にアメリカ文化への憧れは、東欧諸国の国民に共通して存在するものです。
ロシア人にもあるといっていいと思います。
・中南部に住む一般的なウクライナ系一般的なウクライナ系の人で、それ程政治色のない人でも、ウクライナ国民としての国家の所属意識は1991年の独立以来、徐々に高くなってきていました。
とはいっても、血族関係や仕事の関係で親ロ感情をも持っていた人が多かったようです。
今回の越境侵攻によって、ロシアはこのようなウクライナ人の支持を完全に失ったといえます。
一連のプロパガンダは、このような中間的な考えの人を動かすのに、大いに役に立ったと考えられます。
・南東部に住む主にロシア語で仕事をしているウクライナ系戦争前はキーフのテレビもロシア語で放映されていました。
ウクライナ語が得意でなかったゼレンスキー氏のコメディも同様だと思います。
ロシア語はウクライナ全域で通じる言語でした。
ロシア語が母語のウクライナ人も存在します。
この人たちの関心は、戦後処理がどのように行われるか、仕事が今までと同じように続けられるのか大きいのではないかと思います。
ウクライナ側のプロパガンダにより、ロシアに対する意識が変化したと思いますが、本質的なものより現実的な生活のことが影響するのではないでしょうか。
・南東部に住むロシア系この人々の立場が一番難しいと思います。
彼らはかつてウクライナが独立したときにウクライナ国旗を振って万歳をしましたが、それはソ連から、つまり共産主義体制から解放されたという意味合いが大きいものでした。
しかし、結局はロシアの経済的影響を大きく受ける資本主義体制ができていき、ロシア系の彼らはその中である程度活躍できる立場を得ていったのではと考えられます。
彼らにとっては、ウクライナ政府の民族的な政策は脅威ですし、未熟な経済政策は苛立ちを覚えるものでしょう。
戦争には反対でも、ロシアに共感する部分はあると思います。
現在南部はロシアが併合を宣言し、国家体制が変わりました。
そうなるとすると、例えば公務員をしているロシア系の人はロシアの政策に従った仕事をすることになります。
それはロシアを支援することになるもので、戦費の調達や学校の教育などはそれに従ったものになります。
彼らにとってウクライナが再占領することは、その後どんな粛清を受けるのかわからないという大きな問題で、戦争をしたいわけではないが、ロシアを応援するほか道はないということになると思います。
この立場の人を特集するような報道番組を見たいなと思いますが、アメリカ陣営の国では多分それは望めないでしょう。
<つづく>