水間駅


ここは貝塚市のとある病院。
ここ最近、週に二回ぐらいのわりで、ここにお見舞いに来ています。
友人のTっちゃんが入院して一ヶ月半が過ぎました。


2019年04月30日、15時03分31秒a


この病院はリハビリが得意分野の病院です。
彼は最初の病院での治療が終了したあと、この病院に移りました。
話を聞いた範囲では、あと一ヶ月以上はかかりそうな気配です。


2019年04月30日、15時04分34秒a


先日行ったときに先客が来ていたので30分ぐらい近くをブラブラしていました。
近くに水間鉄道の水間駅があります。
個性的な駅舎です。

駅の名前はこの200~300m先にある水間寺に由来します。
水間鉄道は貝塚市内を走る単線の私鉄です。


2019年04月30日、15時12分08秒a


おや、古い車両が置いてあるぞ。
レトロ車両の展示をしていたようですが、現在は開放していないようです。
何か、ほったらかしの感じです。
でも車両はかわいい電車だと思います。

現在は下のようなステンレスの車両が使われています。
かわいらしさは赤い方が上ですね。


2019年04月30日、15時12分24秒a


Tっちゃんは現在歩く練習をがんばっています。
いろいろさせられているようで、骨を折っていない方の足は筋肉痛になっているそうです。
がんばれよ、歳も歳だしサボると歩けなくなるぞ。






男里川 鉄橋の工事(11/15編)


10月21日、台風21号の影響で橋脚が陥没した南海本線男里川鉄橋の今のようすです。


2017年11月15日、12時42分45秒[2]_a


11月になって、ようやく難波行きの海側の線路が開通しました。
これによって、難波駅から和歌山市駅への直通運行ができるようになりましたが、ここだけ単線になりますから、まだまだ通常の営業運転とは違って、列車の本数などでいろいろな不便が続くだろうと思います。

画像は難波方面から来る列車です。
浜側の線路を下り電車が通ることはきわめて珍しい光景ですが、写真なのでどっち向きかわかりませんね。


2017年11月15日、12時44分38秒a


でも、そのおかげで、以前に来たときはサビが浮いていたレールには光が戻っていました。
台風のあと、さまざまな検査をしたり必要な保安設備を仮設置して、通行がOKになったのでしょう。


鉄橋の工事の手順は、まずは陥没した橋脚の両サイドにとりあえずの基礎を造って、3本ずつの大きなH型鋼で重みを支えています。
この仮橋脚を使って電車を通し、その間に鉄筋コンクリート製の新しい橋脚を造るようです。


2017年11月15日、12時39分52秒a


何にせよ、私鉄としては工事のスピードが大事。
川の中のようすもだいぶん変わっていて、大きなクルマが通りやすい工事現場となっていました。


この男里川の橋脚は、事故が起こったからでしょうが、もうだいぶん古いといわれています。
この際、この工法でほかの部分もなおしていくのでしょうか。
もしそうだったら、この現場はかなり長い間この姿を続けることになります。
どうするんだろう?




街中の廃線あと


廃線の写真といえば、のどかな風景の中に錆びた鉄路があるものが多いですが、街中にも廃線があります。
在りし日の姿を思い出してノスタルジックな気分になるという点では、私は同じように感じます。
さあ、トリッカーに乗って廃線散策ツーリングへGo!
 
 
2017年10月27日、14時37分47秒a


ここは和歌山市にあるJR阪和線の紀伊中ノ島駅です。
阪和線の架線が見えるところが電車が走っているところですが、今は使う必要のない立体交差の鉄橋があります。
下の通り道を見ると…、これはどう見ても駅?
幅から考えると単線の鉄道が走っていたあとです。

調べてみると、このレールの撤去された路線は和歌山線のものです。
和歌山線は、もともと明治時代に紀和鉄道という私鉄が五条、橋本方面と和歌山市を結ぶために造られた鉄道です。
その後、天王寺発の阪和電気鉄道が和歌山に伸びて、この地点で交差するようになりました。
その後はいろいろな変遷を経て、どちらの鉄道も最終的に鉄道省(国鉄)となりますが、駅の移転などをしながら1935年に完全な交差駅の形になったときは国鉄と阪和鉄道の時代です。

阪和鉄道はこの駅に特急列車を停車させていたようですから、旅客獲得のための熱の入れようがわかります。
なぜなら、それまで和歌山線は現在の和歌山駅(旧東和歌山駅)に直接つながる線路がありませんでした。
そうなると五条、橋本方面からきた旅客は、この紀伊中ノ島駅を通って次の紀和駅(旧和歌山駅)を通過して和歌山市駅に行き、そこから南海本線に乗って大阪方面に向かうのが便利だったのです。
交差駅がない時代は、和歌山線沿線から阪和鉄道で大阪方面に行く人はたいへん少なかったと考えられます。


47都道府県鉄道路線図」より  ※ 現在の路線図。実際は紀和駅、紀伊中ノ島駅、田井ノ瀬駅の位置は一直線です。
2017年11月01日、0fc8ce89_a


当時の和歌山市の交通の中心は、南海本線和歌山市駅でした。
和歌山市駅を中心にその周辺に軌道線網があり、人口が多かった和歌山城のある南側の地域、百貨店や商店街のある繁華街を網羅していました。
しかし、市の拡大とともに人口比重が変わり、戦後は特に国鉄和歌山駅(旧東和歌山駅)のウエイトが高くなっていきます。
国鉄は和歌山線から直接和歌山駅(旧東和歌山駅)に乗り入れることのできる貨物線を旅客路線に変更して、駅名を和歌山駅→紀和駅、東和歌山駅を和歌山駅と改名しました。
これにより和歌山線の旅客は、改名された現在の和歌山駅を経由して大阪方面へ行くルートが一般的になり、紀伊中ノ島駅の存在価値は大きく低下します。
やがて、この紀伊中ノ島駅周辺の和歌山線が廃線となり、大部分の土地は払い下げられて、一般の宅地等に転用されました。
廃線は1974年とのことです。



また、現在の和歌山駅と和歌山市駅を結ぶ紀勢本線(紀勢西線として終点の旧和歌山駅まで)は和歌山線と関係のない路線となることで、その存在意義は薄れ、歴史を語るだけのか細い路線となりました。
道路網も、けやき通りや国体道路というふうに、新しい和歌山駅を中心に拡充されていきます。
市の拡大と中心の変化という波に乗っていったわけですが、和歌山市においてのこの時代の流れは、国鉄対南海の勝負に国鉄の圧倒的勝利をもたらしたと言えるでしょう。
今は、南海本線が和歌山駅に進出する可能性が話し合われているそうです。



【和歌山線 田井ノ瀬駅→和歌山駅方向】
2017年10月27日、14時23分03秒a

この先で突然線路は南側に進路を変えます。
旅客を全部和歌山駅に持ってきて、和歌山市駅に行けなくするとは、国鉄も思い切ったことをしたもんだ。
廃線あとは普通に民家などが建ち並んでいますが、よく見ると土地の区画などから鉄道の敷地だったところがわかります。



【紀伊中ノ島駅
2017年10月27日、14時35分01秒a

もともと交差駅でしたが、今はJR阪和線の一つの駅になりました。
もちろん特急は停まりません。
この駅は変わっていて、駅舎が近辺の人の通り道になっています。
通り抜けができる駅はほかにもありますが、その通路が廃線の駅そのものなので、一旦駅に入ってまた出てくるような錯覚に落ちます。
買い物をする女性が、かつての改札口を普通に自転車で通って行きます。
これは構内なのか、違うのか、無人駅みたいだから関係ないんだけど。
また、この駅の南側には、かなり広大なJR西日本の社宅があります。



【紀和駅(旧和歌山駅)】
2017年10月27日、15時43分54秒[1]a

紀和鉄道が造った和歌山市内で初のターミナル駅ですが、すぐに和歌山市駅に中心の座を奪われました。
紀勢西線の終点の駅でもありました。
東側は和歌山線の一部が廃線となったので、現和歌山駅だけとつながっています。
西側は和歌山市駅です。
現在は高架工事が行われ、新しくなっています。
近代的ではあるが、かなりマイナーな駅となっています。



【現和歌山駅の北側】
2017年10月27日、15時15分35秒[4]a

北東方向から南西方向を撮影。
線路は手前からJR和歌山線(単線)、JR紀勢本線(といっても紀和駅を通り和歌山市駅間をピストンするだけの盲腸路線で単線)、JR阪和線(複線)です。
ペンペン草が生えていますが、もちろん阪和線には生えていません。

2017年10月27日、15時08分34秒a

同じく南東方向から北西方向を撮影。
駅を出たとたんに立体交差をするという三つの線が入り乱れたような非効率な線形になっている理由は、鉄道ができた順番に起因していて、それぞれ別の会社だったためです。
一番古いのが紀勢本線、次が阪和線、三番が和歌山線(この部分は貨物路線を転用した新線)です。



【子どものころの和歌山市の思い出】

小学生のとき、親の職場の一日旅行で和歌山城へ行きました。
「市電」というか「チンチン電車」をたくさん見たように記憶しています。
でも、「市電」は大阪市の言い方で、和歌山市は「市電」じゃなかったんですね。

高校生のとき、バイクで出来たてホヤホヤの国体道路を走りました。
まだ半完成みたいな状態で広いところと狭いところがあり、オール4車線じゃなかったと思います。

大学生のとき、和歌山市駅から和歌山駅につながる何となく中途半端な路線がなぜあるのだろうと思いました。
和歌山市駅からR42方向は今とそう変わらないように思います。
南海部品和歌山店は、確かもうあったと思う…。
それと、いろんなことを思い出します。
懐かしいなあ…。




静かに眠る北宇智駅


普通の駅になっちゃった…。
マッチ箱のようなかわいい駅だが…、あんまり行く値打ちがない(画像なしです)。

北宇智駅に行ってきました。
正確には北宇智駅の旧駅舎の方まで。
この駅の形が変わったので、関西周辺のスイッチバック駅はなくなってしまいました。


2015年12月09日、16時03分10秒aa


画像は、旧駅舎側から2番ホーム方向を写しています。
以前あった線路を跨ぐ跨線橋は撤去され、なくなっています

この駅を、列車に乗車して通過したことが2回あります。
そのあと最後に行ったのは、10年ぐらい前にバイクで出かけたときです。
スイッチバックで駅に停車し、そして出ていく。
それだけですが、そういう構造の駅では、発着に数駅分のすごい時間がかかるんだなあ、ということが改めてわかりました。


2015年12月09日、800px-Kitauchi_Station_Railway_Track_svg_a


スイッチバックにした理由はこの駅周辺が勾配のきつい坂だったからで、駅が造られた蒸気機関車時代には必要な構造でした。
さらにこの駅の構造を複雑にしたのは、スイッチバックのホームが2つあって、交換駅になっていたことです。
現在は電化された路線ですので、車両の性能アップで時間のかかるスイッチバックは必要でないばかりか、運行時間のロスになります。

その時代の線路の面影を偲んでみます。
出典はウキより、今はなき跨線橋の上から撮影した画像です。


2015年12月09日、800px-JRW_kitauchi_swichback_a


最初にこの駅を通ったのは、家族鉄道一日ハイキングのときです。
JR阪和線久米田駅からのひと駅往復料金で、阪和線 → 和歌山線 → 大和路線 → 阪和線の当時流行っていた鉄道周遊旅行をしました。
和歌山駅で弁当を買ったので、和歌山線は昼食のできるノンビリとしたグッドビューイング区間でした。
交換駅でタバコを一服、これは今、難しくなっているのかな。

私の子育て時代、よきパパの終焉とともに、旧北宇智駅の駅舎も…。




500系新幹線がニューペイント


今日も、何日か前のニュースからの焼き直しネタ、このごろこんなのが多いな。

私の最も好きな新幹線である500系が、新しいカラーリングになるそうです。
何でも20年ぐらい前に流行ったSFアニメ「エヴァンゲリオン」からデザインしているとのことです。


2015年07月23日、500kei_eva_a
                                                   ※ yahooニュースより

アニメ作品のことはほとんど知らないし、このカラーが好きであるとかいうことではないのですが…。
とにかく、好きな500系が話題になることがうれしい。

好きな理由は、とにかく性能を追求したそのスタイルです。
装飾が全くないように見え、単純ともいえる長いノーズ、全体の丸みのある低いフォルムなど、ほかの新幹線車両にはない唯一独特の美しさがあります。
初めての300km/hの営業運転というのも、魅力ですよね。
500系を好きな人は、多分たくさんいるんじゃないかな。

けど、そのために犠牲になった部分があって、新幹線の中で長期間の主力機種になることはありませんでした。
生産コストが高く、居住性が落ちる、定員が少ないなど、鉄道の経営や運行の管理という面で劣ることが原因です。
どんどん運用の範囲が縮められていく姿を見てきましたが、何かそのたびに「美人薄命」という言葉を思い出します。
まだ、死んだわけじゃないけど。

この500系が出たあと、すぐに700系が姿を現しました。
そのときは、「あんなカッコいいヤツのあとで、何でこんなん出すんや?」と思ってしまいました。
700系が好きな人、ゴメンなさい。




プロフィール

Rip

Author:Rip
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年齢 戦後生まれ
住所 岸和田市
趣味 バイクほか…
長所 楽しく酒が飲める
短所 判断が自分の好みにかたよる

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