年の暮れ フィリピンからの便り


下の息子がフィリピンから便りを送ってきました。
年末年始休暇を利用して、友だち4人で旅行をしています。


2018年12月31日、18507


男ばっかり4人です。
味気ないなあとも思いましたが、よく考えると独身の男友だちが揃うのは、彼らの歳を考えるとこれが最後になるのかも知れません。
そう考えると、楽しんでこいよと言ってあげたくなります。

画像を見る限り、それなりの高さのある、つまりそれなりのホテルに泊まっているようです。
日本列島は年末の寒波襲来だけれども、南の島はいい季候だろうな。






三好長慶 武者行列祭り(11/3~4編)


三好長慶の武者行列祭りが出生地である徳島県三好市で行われました。
ハイエースでPキャンの旅、行こうと言い出したのは戦国時代オタクの下の息子です。


2018年11月04日、13時04分19秒a
※ メイン会場の三野グランド


三好長慶といえば、子どものころに細川から三好、松永というふうに下克上の代名詞的な言い方で習ったように記憶していますが、応仁の乱と同様に、室町時代の複雑な畿内の政争の中で、なかなか一口では説明しにくい人物です。
ただ全盛期には京を中心に畿内、四国の八ヶ国を支配した当時随一の実力者ですから、信長以前の天下人として評価する向きもあり、これから人気の出てくる可能性がある歴史人物です。
一流の教養人であったと伝えられていることも、この人の魅力の一つです。


2018年11月04日、13時38分22秒a


三好一族の出身地であるここ三好市ですが、長慶がこの地にいたのは幼少のころの10年間ほどです。
生まれたのは居城であった芝生しぼう城で、現在は歴史案内の看板が立っているだけなので、地形をつぶさに見ることぐらいしか往時のようすを忍ぶことしかできません。
河岸段丘の上部に位置し、吉野川沿岸の平地部分が一望できます。

一つ思いついたことですが、大阪府高槻市に芝生しぼうという難読地名があります。
高槻は一時長慶の勢力の中心地だったところなので、何か関係があるのでしょうか。


2018年11月04日、14時02分19秒a
※ 芝生城址


この「武者行列祭り」は、地元三好市の人たちが中心になって行われているイベントです。
町おこし的な意味合いがあり、目標は「三好長慶を大河ドラマに」だそうです。

だから時代考証とか長慶の歴史的存在位置というような難しいことは一切なしで、戦国コスプレ大会的な色合いもある楽しめる行事になっています。
岡山城火縄銃愛好家グループのデモンストレーション演技や居合の演武、和太鼓の演奏など特に三好長慶と直接関係のないものもメニューに組まれていて、子どもから大人まで楽しめます。


2018年11月04日、10時51分44秒[3]a


三好市までの往路で勝瑞しょうずい城址に立ち寄りました。
この城は細川氏から奪い取った城で、その後長宗我部氏に攻められるまでの間三好一族の居城となりました。
場所は徳島県板野郡藍住にあり平城です。
板野や藍住はインターの名前になっていますから、大体どのへんかわかっていただけると思います。

平城といっても、この時代ですから平地にある堀付きの館という感じですが、吉野川の豊かな水を城づくりに生かしています。
畿内と結びつきが強く、四国の東半分の政治的な中心地であったとのことです。
ただ長慶自身がほとんど畿内にいたため、弟の実休親子など一族がこの城を守っていたそうです。


2018年11月03日、12時53分03秒a
※ 勝瑞城址




この旅で泊まったところは徳島道吉野川SAです。
ハイウェイオアシスがあって便利なところで、川に面して公園みたいなところもあります。
思いのほか気温が低かったけど、「クルマが広いから寝やすい。」と息子は面白がっていました。
こりゃ、その内「貸してくれ。」と言われそうです。


2018年11月04日、08時14分47秒a


朝チャリンコであたりを散策していてわかったんだけど、無料のキャンプ場があって、この11月でもかなりの数のライダーがキャンプをしていました。
知らなかったなあ、こんなスポットあったんや。






残暑、お見舞い申し上げます。


朝の連続テレビドラマ「半分、青い」のオープニングに出てくるような空と雲。
面白い形をしていて、とてもきれいだったので写真に撮ってみました。


2018年08月26日、12時12分18秒a


この雲は和泉葛城山山頂の展望台より撮影。
「暑いのでどこか涼しいところへ。」ということで、家族3人でクルマで出かけました。
標高は約850m、緑が多く、あたりは爽やかでした。


2018年08月26日、12時07分15秒a


やっとのことで、8月も最終週に入りました。
あと一ヶ月ほどでいい季節がやってきます。

どこかへ行こう!






不動窟鍾乳洞(8/15編)


皆さんは不動窟鍾乳洞というところを知っているでしょうか。
私はこの鍾乳洞の前を数知れぬほどの回数通ったことがあるのですが、その存在をはっきりと認識したことがなく、無視していたわけではありませんが、ほとんど知らない場所でした。


2018年08月15日、fudoukutsu_a
※ グーグルストリートビューより

鍾乳洞はR169沿いの川上村にあり、北から南へ走っていくと入之波温泉のある大迫ダムより手前で、このへんをよくツーリングする人には「わりと近い感じ」がするところです。
でもツーリング仲間との話題にはなったことがありません。
私のような人は、果たして多いのでしょうか、少ないのでしょうか。


2018年08月15日、16時14分50秒a


先日、上の息子が家に戻ってきたので、家族でどこかへ行こうということになりました。
お盆なので、人のそう多くないところ、そしてクルマの混まないところを考えたところ、R169沿いの川上村周辺を回ることになりました。
そのへんによくツーリングに行く私にはそう目新しいところではありませんが、いろいろな条件を考えるとちょうどよいあたりです。
ただ五条北ICからオール裏道をつないでいったので、私以外のものは今どこを走っているのか全然わかっていないようでした。


2018年08月15日、16時03分05秒a


鍾乳洞は中規模の大きさで、中に一ヶ所わりと広い空間がありました。
全体によく整備されていて、しゃがんで通らなければならないところはありますが、見学しやすい洞窟です。
名前のごとく、中には不動明王が祭られていて、こちらをにらんでいます。


2018年08月15日、16時05分58秒a


見学路の横には、かなりの量の水の流れがありました。
中の気温は14.5℃で、水温も同じでした。
身体が気温に慣れたころだったので、水はそれほど冷たく感じませんでした。
冬に来たら、この場所は暖かい場所に暖かい水が流れているところになるのでしょうか。


2018年08月15日、16時08分09秒a


一番先の部分は、雨が降ったせいで水位が高くなっていて、見学できませんでした。
ちょうど手すりの高さまで水がありましたから、1mぐらいはあるでしょうか。
洞窟内での水位上昇といえば、少し前のタイの洞窟のことを否応なしに思い出します。
油断したらあかん、ふざけて進んでもあかんな。


2018年08月15日、16時16分22秒a


この鍾乳洞の入り口は、道沿いに建っているレストランのテラスのようなところからです。
それでこの建物をよく見ると、この敷地は何とR169旧道で使わなくなった部分なのです。
横に赤い橋があり、この道路改良で要らなくなった道がレストランの敷地兼クルマの駐車スペースになっているのです。
この橋は主塔が一つの斜張橋で、跨いでいる川がないようだから、道路の線形改良が目的の橋のようです。
橋の名前は忘れてしまいましたが、確か1988年竣工とプレートに書いてあったと思います。


2018年08月15日、16時17分25秒a


R169をツーリングするたびに何度も通る橋ですが、橋ができる前にもバイクでこの道を通ったことがあります。
そのときはレストランの建物のところを走っていたんだなと思うと、何かおかしな感じがしました。


この日は不動窟鍾乳洞のほかに、蜻蛉の滝や大滝ダムなど、このあたりの観光名所を回りました。
休日のツーリングでは、このへんは早朝あっという間に通り過ぎるところなのですが、昼間にクルマで行くと案外時間がかかるなあと思いました。






安土城址(6/17編)


安土城址へ行ってきました。
画像は、正面の大手道と呼ばれる有名な真っすぐで広い階段です。


2018年06月17日、11時29分06秒a


歴史好きの次男が安土城址へ行きたいと言っていたので、兄貴の方も誘って、日曜日に3人で出かけました。
最近はこういう歴史探訪、息子に誘われることが多くなりましたが、自分も好きなのでアッという間に「行こか!」となるわけです。

私自身は、ここへ来るのは3回目です。
でも、前回来たのはもう10年以上前の発掘や整備途中のときなので、中のようすはずいぶんと変わっていました。
中は歴史公園のように案内板がたくさんあり、きれいになっていました。
以前に来たときは工事中のような感じのところが随所にあり、誰がいつ入っても構わない歴史遺物の中に一人で侵入していく感じでした。
今は前の駐車場のところの建物や入り口ゲートができていて、訪れる観光客が多く、史跡保存の目的で入場料が要るようになっていました。
普通の歴史観光地の雰囲気で、ずいぶん立派になりました。


2018年06月17日、12時04分29秒[1]a


天守(天主)台跡です。
想像図で見る安土城天主より小さいように思いますが、これには理由があります。
このエリアの外側に見える石垣はかなりの部分補修によって今の姿になっていると思われますが、これは一般に城の石垣として外側から見える部分ではなくて、建物の下部構造の部分を内側から見ているものです。
想像図で見られる石垣は外側から見るととても立派ですが、その痕跡はわかりませんでした。

長い期間廃城状態だったので、石垣が崩れたあとに土がかぶさり、草木が生え茂っていていたことは間違いないと思います。
昭和初期に一度発掘調査と補修・改修が行われ、1989年からは20年計画でさらなる整備が行われたそうです。
現状は、発掘と歴史研究の結果によってできた姿といえるかもしれません。


2018年06月17日、12時21分45秒[1]a


城内には摠見寺そうけんじという信長が建てた臨済宗の寺院があり、この寺は廃城後の江戸時代まで活動を続けていたようです。
上の画像はそこから見える西の湖方面の景色です。

安土城の回りは広大な干拓農地が広がっていて、それはすべて湖だった部分ですが、ここからはかつて島だった部分が見えているので、景色は当時とそう変わらないと考えられます。
つまり信長の見た景色?


2018年06月17日、13時51分04秒[1]a


政治的意図をもって建てられた城なので、当然防御的性能は低く、城全体が信長の権力誇示のためのテーマパークのようです。
一応山城として数えられていますが、平山城に近い山城です。
琵琶湖の水を利用した設計になっているので、海の近くにある水城と呼ばれるものに近いかもしれません。
豪華なことがウリだったので、山城としては石の量は多く、山全体の発掘が進めば相当の石があると思われます。
逆に土塁的な土を利用した工夫は、自然の地形に任せているように思います。

大きな城は1600~1620年ごろによく造られ、それらにはさまざまな工夫が凝らされていますが、この安土城にはそれらの城の原型になった初期的な傾向が感じられます。
時代的には、この安土城がモデルとなっていろいろな城郭建築が発展していくわけですから、当たり前のことかもしれません。


2018年06月17日、14時13分55秒a


昨年橋上駅舎にリニューアルされたJR東海道本線安土駅の横に安土城郭資料館があり、現在の研究の範囲でわかる城の構造を示した大きな模型があります。

蒲生郡安土町は2010年に近江八幡市に合併されました。
ほかにも2つの新しい資料館があり、安土城址は近江八幡市の期待の観光資源として、その一翼を担っていくようです。






プロフィール

Rip

Author:Rip
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年齢 戦後生まれ
住所 岸和田市
趣味 バイクほか…
長所 楽しく酒が飲める
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