丸岡城へ行ってきました!(11/5編) ; その1


現存十二天守の一つである丸岡城と越前海岸と呼ばれるシーサイドロードへ行ってきました。
ご一緒したのはWashuさん、この丸岡城のある福井県のMTライダーです。
お付き合いいただき、どうもありがとうございました。


2017年11月05日、10時44分19秒a


まずメインである丸岡城を見て、最初に思ったのは下のようなことです。
① 予想通り、あまり大きくない。
② 白漆喰が少なく木造の壁や破風がやたら目立ち茶色っぽい。
③ 望楼型と呼ばれる天守の面積が、底面積に比べて比較的大きい。


2017年11月05日、10時42分43秒a


この城は、柴田勝家の北国攻めに関わって甥の勝豊が1576年に築城したそうです。
現存する天守の中では一番古いということで、当時このような城がどのぐらいあったかはわかりませんが、初期の城郭、そして天守は、なるほどこういうものだったのかと思わせるところがいくつかあります。
天守は独立式で回りに廊下などが一切ないので、ちょうど5重6階の大型天守の上の方の2~3階を切り取ったような形をしています。
そういう意味では、連立式の大型城郭よりもお城としてたいへん単純かつ基本的な姿見をしているといえます。


2017年11月05日、10時21分18秒a


今まで見た中で一番急な傾斜の階段で、これはもう階段というよりもはしごに近いものです。
さすが初期の天守ですね。

天守は権力の象徴といわれますが、権力に軍事力、政治力、経済力があるとするなら、これは軍事力に偏っています。
砦の物見櫓の発展がお城だということを強く感じます。
居住性ゼロですね。
多分もともとは手すりもなかっただろうと思いますが、今は観光用に安全ロープが付けられています。


2017年11月05日、10時15分00秒a


平山城ですが、城の周辺は完全な平地で、よくこんな都合のいい小山がここにあったな、というような地形です。
天守からはどの方向も同じように、かつては広大な農地であっただろう平野が広がっています。
そして、本丸以外の部分は明治以降に官有地としてかなり開発されたようで、公園や図書館、学校などが城を囲むようにあり、最後に天守だけがポツンと残されたような感じになっています。


2017年11月05日、10時20分54秒a


この天守は1948年の福井地震で倒壊したそうです。
7年ほどの歳月をかけて、倒壊材を組み直し、完全復元したそうです。
内部にも、雨ざらしになったようなあとが残っている木材が多いのは、多分そのためだと思います。
その努力のおかげで、現存天守のステータスが守れたわけですね。


2017年11月05日、10時46分53秒a


この野面積みのゴツゴツ感は半端ないもんです。
同じ野面積みでも、時代が新しいともうちょっと表面が揃っているように思います。
時代が古いからなんだろうな。
何となく値打ちある感じがします。

この位置の石垣上部の石材は比較的色がきれいでした。
地震の補修の名残でしょうか。




この丸岡城、こぢんまりしたお城ですが、最古の天守としての値打ちを十分誇っています。
歴史を感じて、面白いお城でした。

見学が終了!
さあ、ここからはいよいよシーサイドツーリングです。


<つづく>




コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Rip

Author:Rip
性別 男
年齢 戦後生まれ
住所 岸和田市
趣味 バイクほか…
長所 楽しく酒が飲める
短所 判断が自分の好みに片よる

最新記事
最新コメント
シンプルアーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR