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安土城址(6/17編)


安土城址へ行ってきました。
画像は、正面の大手道と呼ばれる有名な真っすぐで広い階段です。


2018年06月17日、11時29分06秒a


歴史好きの次男が安土城址へ行きたいと言っていたので、兄貴の方も誘って、日曜日に3人で出かけました。
最近はこういう歴史探訪、息子に誘われることが多くなりましたが、自分も好きなのでアッという間に「行こか!」となるわけです。

私自身は、ここへ来るのは3回目です。
でも、前回来たのはもう10年以上前の発掘や整備途中のときなので、中のようすはずいぶんと変わっていました。
中は歴史公園のように案内板がたくさんあり、きれいになっていました。
以前に来たときは工事中のような感じのところが随所にあり、誰がいつ入っても構わない歴史遺物の中に一人で侵入していく感じでした。
今は前の駐車場のところの建物や入り口ゲートができていて、訪れる観光客が多く、史跡保存の目的で入場料が要るようになっていました。
普通の歴史観光地の雰囲気で、ずいぶん立派になりました。


2018年06月17日、12時04分29秒[1]a


天守(天主)台跡です。
想像図で見る安土城天主より小さいように思いますが、これには理由があります。
このエリアの外側に見える石垣はかなりの部分補修によって今の姿になっていると思われますが、これは一般に城の石垣として外側から見える部分ではなくて、建物の下部構造の部分を内側から見ているものです。
想像図で見られる石垣は外側から見るととても立派ですが、その痕跡はわかりませんでした。

長い期間廃城状態だったので、石垣が崩れたあとに土がかぶさり、草木が生え茂っていていたことは間違いないと思います。
昭和初期に一度発掘調査と補修・改修が行われ、1989年からは20年計画でさらなる整備が行われたそうです。
現状は、発掘と歴史研究の結果によってできた姿といえるかもしれません。


2018年06月17日、12時21分45秒[1]a


城内には摠見寺そうけんじという信長が建てた臨済宗の寺院があり、この寺は廃城後の江戸時代まで活動を続けていたようです。
上の画像はそこから見える西の湖方面の景色です。

安土城の回りは広大な干拓農地が広がっていて、それはすべて湖だった部分ですが、ここからはかつて島だった部分が見えているので、景色は当時とそう変わらないと考えられます。
つまり信長の見た景色?


2018年06月17日、13時51分04秒[1]a


政治的意図をもって建てられた城なので、当然防御的性能は低く、城全体が信長の権力誇示のためのテーマパークのようです。
一応山城として数えられていますが、平山城に近い山城です。
琵琶湖の水を利用した設計になっているので、海の近くにある水城と呼ばれるものに近いかもしれません。
豪華なことがウリだったので、山城としては石の量は多く、山全体の発掘が進めば相当の石があると思われます。
逆に土塁的な土を利用した工夫は、自然の地形に任せているように思います。

大きな城は1600~1620年ごろによく造られ、それらにはさまざまな工夫が凝らされていますが、この安土城にはそれらの城の原型になった初期的な傾向が感じられます。
時代的には、この安土城がモデルとなっていろいろな城郭建築が発展していくわけですから、当たり前のことかもしれません。


2018年06月17日、14時13分55秒a


昨年橋上駅舎にリニューアルされたJR東海道本線安土駅の横に安土城郭資料館があり、現在の研究の範囲でわかる城の構造を示した大きな模型があります。

蒲生郡安土町は2010年に近江八幡市に合併されました。
ほかにも2つの新しい資料館があり、安土城址は近江八幡市の期待の観光資源として、その一翼を担っていくようです。






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Author:Rip
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