和泉五社と神輿の渡御 ; その2


和泉五社とは和泉国にある5つの古い神社のことです。
その名を知られている神社が多いです(所在地)。

和泉國一之宮  大鳥大社 (堺市)
和泉國二之宮  泉穴師神社(泉大津市)
和泉國三之宮  聖神社  (和泉市)
和泉國四之宮  積川神社 (岸和田市)
和泉國五之宮  日根神社 (泉佐野市)
和泉國総社   泉井上神社(和泉市)


2019年01月10日、izumigosha_aa
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五社と総社を合わせた六つのうち、行ったことのない神社は聖神社と日根神社です。
聖神社は名前も知りませんでした。
あとの神社はだんじり見物などで行ったことがありました。




和泉五社の特徴的なことはその古さです。
前回の内容と重複しますが、716年の和泉監成立時にできたと伝えられる総社である泉井上神社よりも古い可能性が高く、五社がまとまって存在し、一之宮からの序列もはっきりしています。
またこれら五社は現在も存続し、廃絶したところや同一名が存在し特定がしにくくなった神社がありません。
つまり間違いなくこの五つだということです。

神社のことを調べるときに「式内社」という言葉に出くわすのですが、式内社とはここから調べたことの受け売り「延喜式」という養老律令の施行細則をまとめた法典の中にある神社名一覧に載っている神社のことで、歴史があるんだよということを証明するある意味で神社のランクになっているものです。
その延喜式が作られたのが平安時代の927年ですから、和泉五社がそれよりも200年以上も古い奈良時代の716年に存在したであろうことは、際立っているといえます。




ここで学校の勉強で習ったことを思い出してみます。
仏教は、聖武天皇が東大寺を中心に全国に国分寺、国分尼寺を建立したことや、古代や中世において宗教勢力が政治勢力と争ったこと、檀家の一覧が戸籍の役目を果たしたことなどそれなりに詳しく習うのですが、これに比べて神社、神道のことはそれほど教えてもらったことがないなあと気付きました。
太平洋戦争を挟んで、教育内容が大きく変わったのが原因だと思いますが。
あるとすると、6世紀に蘇我氏が台頭する中で仏教を利用し、それと対立した物部氏は日本古来の宗教勢力を代表したが結局敗れてしまったというあたりです。

が、しかし、天皇家しかり、勢力を持った豪族も、先祖は日本古来の神々であると称していますし、仏教に力を注いだ権力者も自分の氏神を祭ってきました。
それらの神社はとても大きく強力で、日本人のアイデンティティーを生み出すような力を維持してきました。
天皇家が完全に神道になる明治以前の1000年以上もの間、このあやふやな関係がずっと続いてきたわけで・・・。

結局のところ、このへんの関係はよくわからないということになります(私には)。
もちろん権力者だけでなく、末端の方に位置する私も、お祭りや正月は神式、葬式やお盆は仏式、それから最近の傾向として自分の子どもの結婚式はキリスト式ということになっています。
そういうのが日本人の大多数だと思います。




和泉監が成立し、総社である泉井上神社が作られたのは奈良時代初期で、聖武天皇が国分寺などを整備する奈良時代中期の少し前です。
その時代にもうすでに存在していたという和泉国エリアの五つの神社。
まさに創世期って感じです。
また、神社が全国に整備された時期は寺院より若干早いのかも知れませんが、そう変わらないことがわかります。

いろいろ考えても、この時代のことはほとんど想像の世界。
さあ!こうなりゃやることは一つ。
実地検分じゃ!


<つづく>






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